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2017年02月05日

勝連城址の謎/ローマ帝国コインの発見5

さてと解体屋のおじさんです、こんばんは。
夜半に目が覚めましたので、趣味の日曜日の歴史ブログを書こうと思いますが。

そして本日は、前回がマラッカ海峡のマラッカ王国の話で、琉球王国との貿易を行っていたことを突き止めましたので、話をさかのぼりローマ帝国コイン発行の時代へと遡ります。

起承転結の、「転」のところですね・・・実は「結」はまだ考えてない(汗)ま、でも、書いていたら何かしら考えが浮かぶでしょうから、とりあえず書き進みたいと思います。

さて、まずはこちらのURLをご覧ください。
http://www.augustus.to/coin/ZN_j_constantinus.html

勝連城址で発見されたローマ帝国コインは3世紀から4世紀のもの、ということで恐らくはコンスタンティヌス帝かヨウィアヌス帝のコインと見受けられます。

コンスタンティヌス帝は東西に分かれ分裂していた帝国の統一に成功、「大帝」とも尊称されます。この方は禁教とされていたキリスト教を公認し、宗教の自由を与えた人物でもあります。ミラノ勅令と言います。偉大ですね。
ただ、キリスト教がローマ帝国の国教とされるのは、さらに先でテオドシウス一世の時になります。

なので肖像画がコインに描かれているわけですが・・・あと、もう一人の方も書くか。次はヨウィアヌス帝を。
ちょいと資料を調べましたが・・・先帝が副帝も指名してなかったので軍隊によって選出されたとしか書かれてないですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%8C%E3%82%B9

ふむ・・・・ちょいと行き詰ったので話を変えまして、次は貨幣の歴史の話を。引用します。

「地域の覇者となったローマ帝国は紀元前269年頃より自国通貨の大量生産を始める。」
「ユノ・モネタ神殿に隣接した造幣局より鋳造され、そこからmoneyとmintという言葉が生まれたと思われる」

引用元 貨幣の「新」世界史 ハンムラビ法典からビットコインまで 

んー・・・ローマ帝国はあまり勉強してないからなあ・・・琉球王国とのつながりも薄すぎて、ぴんと来ない。
ま、ただ、三世紀に鋳造され、勝連に到達する14世紀から15世紀までの間に、ユーラシア大陸を漂流していたのでしょう。壮大な話だ(^^;;
そして、マラッカ海峡のマラッカ王国にいつかはたどり着き、交易をつかさどる四人の貿易長官のうち、東アジア担当(中国、琉球王国、チャンパ王国担当)から琉球王国へと向かい出荷されたと。

書いているうちにだんだん、頭がさえてきました。
多分、本当にラストは次回かその次くらいのブログになるかと思います。

ラストは勝連城址の最大の名君、麒麟児「阿麻和利」とローマ帝国コインの話を書くことになるかと。
では、朝のコーヒータイム、お先に失礼します。

( ^^) _U~~



Posted by white_yamada at 05:02│Comments(0)
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