てぃーだブログ › Ruby勉強会(Ryukyu Ruby's Rookies)と徒然なる歴史評論 › 山南王の支配。中山、一時の崩壊。

2016年05月29日

山南王の支配。中山、一時の崩壊。

さてと解体屋のおじさんです、こんにちは。
前回は久米三十六姓の話まで行ったから、そのあとかな?武寧王の話になりますが。

この方はね。
日本や中国でもよくあるように、国王になったことをいいことに、酒色におぼれて国を傾けていったのですよ。
酒色におぼれた言っても、足利義政みたいに芸術方面に秀でたら、歴史に名前を刻むのですけどね。
殷の紂王の酒池肉林みたいなバカみたいな巨大な遊びはしなかったけども、国をどんどん荒廃させていったのですね。

なので、大里按司な山南王が兵を上げまして、武寧王と戦うことになります。
武寧王も応戦しようとしましたが、味方が少なくて降参することになりました。

なので、山南王が中山王に即位します。このときが明の永楽19年ですね。西暦に直すと1421年。

・・・内地だと、まだ応仁の乱が始まってない・・・(^^;;
応仁の乱は1467年ですので、室町幕府の安定期の時期ですねえ・・・

内地の方は惣領制、わかりやすくいうと一族の優秀な人間が財産を全部継ぐ、というシステムなので親兄弟で争うことが多く、征夷大将軍は仲介、仲介、で忙しいのですが、ま、とりあえず大きな争いはない平和な時期です。

そのころの沖縄は豪族たちが争いまくってたわけですね。
ま、ただ、戦国に入ったのも早かったので、戦国が終わるのも内地よりは早いです。

そして、争いを重ねる沖縄に、一人の英雄が誕生します。
この男に匹敵する人物は、内地では信長のみかもしれない。
始まりは佐敷按司にして後に中山王に即位する、沖縄史上最大の英雄、尚巴志の登場です。

さて、今日はこのくらいにしておきます。朝のコーヒータイム。
お疲れ様です。( ^^) _U~~



Posted by white_yamada at 05:46│Comments(0)
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