2016年04月03日
清和源氏三代/琉球王国禅譲後編
さてと解体屋のおじさんです、こんにちは。
今日はですね、舜天王から舜馬順煕王に代替わりしたので、その次の話を書きたいと思いますが。
というか、英祖王に禅譲する直前ですね。
そのまえに「禅譲」とは何かといいますと、話は中国の神話「三皇五帝」に飛びます。
以下はウィキよりのコピペ。
「堯が舜に禅譲し、舜が禹に禅譲した」
調べてみたらこれだけしか書かれてないのな(^^;;<三皇五帝の禅譲神話<ウィキ
簡単に述べますと、戦争や陰謀によらずに、自分の子供以外の他者に帝位を譲ることを言います。<禅譲
この思想は、幕末の日本人にも受け継がれていて、勝海舟がアメリカの大統領制の説明をすると「それは堯、舜、禹の政治ですな」と述べて、勝を驚かせた逸話が有ります。
自分が沖縄史の前に日本史を出来る限り勉強して、中国史も独学とはいえ少しかじったのは、こういう逸話が説明できるようにしたかったわけです。沖縄史だけだと、堯、舜、禹とかの説明ができないもんな(^^;;
ま、そういうことです。そして元の琉球王国史に戻りますと。
舜馬順煕王の時代の中山世鑑の記述を書きますと。
「舜馬順煕は舜天の第一王子である。淳熙12年乙巳に誕生し、54歳で即位された。淳祐8年戊申に在位11年、64歳で薨去されたので世子の義本が後を継いで即位された」
義本王なんですが、その翌年に飢饉が起こったのですよ。その次は悪い病が流行ったと。これは王のせいではなくて、単に運が悪かっただけですが、近代以前は王の不徳のせいと民は言います。
ですので、中国でも日本でも伝説上の神話でしか存在しない、琉球国王の「禅譲物語」がスタートを切ります。
もし事実なら、東アジア全体でも近代以前の歴史上では沖縄だけ。中国も王朝交代は一応禅譲という事になってるけど実態上は簒奪なので、たぶん前代未聞の偉業になります。
中山世鑑の記述を進めます。
「飢饉や疫病が起こったので、王は大いに嘆き群臣を招集してこう申された。「上は源、下は流れである。上は表、下は影である。表が正しければ裏も正しいし、源が清らかであれば、流れも清らかである。これは自然の理である。だから天下は人間の身体の如く、元より気力が盛んであれば、邪なものは冒すことが出来ないが、気力が衰えれば邪な気が入り込むことになると言われている。今の疫病は予の不徳によるものだろう。「天下は天下のもので、一人の天下に非ず」という言葉も有るから、誰かに国を譲るべきなのだ」と下問されたので、群臣は恵祖の世の主の嫡子英祖を推薦した。」
ということで、義本王は摂政に英祖を抜擢したのですが、次も中山世鑑から抜粋するかな?
「賢人を登用することは、舜が八愷、八元を用いた如く土地を経営され、四方に五経を広めさせた。また、不詳の人をさけることは舜が四凶を国の果てに追いやった如くであった。これによってめでたい雲、めでたい星が出て疫病はやひんだ。」
さらに中山世鑑からの抜粋。
「英祖が摂政となられて七年、義本王は在位11年54歳で王位を逃れて英祖に譲位された」
中国でも日本でも神話でしか存在しなかった平和裏の「禅譲」が、沖縄では現実に存在して実行に移された、ということです。
下手をしたら東アジア全域でも禅譲は無いかもしれない。それくらい特筆されることでして、これは誇っていいことだと思います。
なので、舜天王統デッチアゲ説もあるという・・・ま、早い話が「沖縄ごときで禅譲なんてあるわけないじゃん」という、これも変な嫉妬から言われてるわけです。適当に受け流すのが一番かな。
さてと今日のブログはここで終了して、朝のコーヒータイムに入ります。
お疲れ様です。
( ^^) _U~~
今日はですね、舜天王から舜馬順煕王に代替わりしたので、その次の話を書きたいと思いますが。
というか、英祖王に禅譲する直前ですね。
そのまえに「禅譲」とは何かといいますと、話は中国の神話「三皇五帝」に飛びます。
以下はウィキよりのコピペ。
「堯が舜に禅譲し、舜が禹に禅譲した」
調べてみたらこれだけしか書かれてないのな(^^;;<三皇五帝の禅譲神話<ウィキ
簡単に述べますと、戦争や陰謀によらずに、自分の子供以外の他者に帝位を譲ることを言います。<禅譲
この思想は、幕末の日本人にも受け継がれていて、勝海舟がアメリカの大統領制の説明をすると「それは堯、舜、禹の政治ですな」と述べて、勝を驚かせた逸話が有ります。
自分が沖縄史の前に日本史を出来る限り勉強して、中国史も独学とはいえ少しかじったのは、こういう逸話が説明できるようにしたかったわけです。沖縄史だけだと、堯、舜、禹とかの説明ができないもんな(^^;;
ま、そういうことです。そして元の琉球王国史に戻りますと。
舜馬順煕王の時代の中山世鑑の記述を書きますと。
「舜馬順煕は舜天の第一王子である。淳熙12年乙巳に誕生し、54歳で即位された。淳祐8年戊申に在位11年、64歳で薨去されたので世子の義本が後を継いで即位された」
義本王なんですが、その翌年に飢饉が起こったのですよ。その次は悪い病が流行ったと。これは王のせいではなくて、単に運が悪かっただけですが、近代以前は王の不徳のせいと民は言います。
ですので、中国でも日本でも伝説上の神話でしか存在しない、琉球国王の「禅譲物語」がスタートを切ります。
もし事実なら、東アジア全体でも近代以前の歴史上では沖縄だけ。中国も王朝交代は一応禅譲という事になってるけど実態上は簒奪なので、たぶん前代未聞の偉業になります。
中山世鑑の記述を進めます。
「飢饉や疫病が起こったので、王は大いに嘆き群臣を招集してこう申された。「上は源、下は流れである。上は表、下は影である。表が正しければ裏も正しいし、源が清らかであれば、流れも清らかである。これは自然の理である。だから天下は人間の身体の如く、元より気力が盛んであれば、邪なものは冒すことが出来ないが、気力が衰えれば邪な気が入り込むことになると言われている。今の疫病は予の不徳によるものだろう。「天下は天下のもので、一人の天下に非ず」という言葉も有るから、誰かに国を譲るべきなのだ」と下問されたので、群臣は恵祖の世の主の嫡子英祖を推薦した。」
ということで、義本王は摂政に英祖を抜擢したのですが、次も中山世鑑から抜粋するかな?
「賢人を登用することは、舜が八愷、八元を用いた如く土地を経営され、四方に五経を広めさせた。また、不詳の人をさけることは舜が四凶を国の果てに追いやった如くであった。これによってめでたい雲、めでたい星が出て疫病はやひんだ。」
さらに中山世鑑からの抜粋。
「英祖が摂政となられて七年、義本王は在位11年54歳で王位を逃れて英祖に譲位された」
中国でも日本でも神話でしか存在しなかった平和裏の「禅譲」が、沖縄では現実に存在して実行に移された、ということです。
下手をしたら東アジア全域でも禅譲は無いかもしれない。それくらい特筆されることでして、これは誇っていいことだと思います。
なので、舜天王統デッチアゲ説もあるという・・・ま、早い話が「沖縄ごときで禅譲なんてあるわけないじゃん」という、これも変な嫉妬から言われてるわけです。適当に受け流すのが一番かな。
さてと今日のブログはここで終了して、朝のコーヒータイムに入ります。
お疲れ様です。
( ^^) _U~~
Posted by white_yamada at 04:32│Comments(0)
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