2015年09月27日
大慌ての脱出/伊賀越え/徳川家康編4
さてと解体屋のおじさんです、こんにちは。
本日は本能寺の変の時の家康の行動について述べたいと思いますが。
ちょうどその時は信長の勧めで堺見物に行ってたんですよ。で、帰り道の河内国で本能寺の知らせを受けるのですが。
明智光秀は全兵力を信長の本能寺に叩き込みました。13000もいましたが、それを全部本能寺に(^^;;
頭に血がのうえぼってたのか、信長がよほど怖かったのか・・・いや、信長のところ20名くらいしかいないから、6500でも勝てるでしょ?(^^;;
んで、のこりの6500を家康にあてたら、後顧の憂いを絶てたのに・・・
本当に頭のいい光秀らしくない行動なので、陰謀説やらノイローゼ説やらいろいろ取りざたされているわけですが。
まあ、でも、6500で攻め込まれたら家康といえども34くらいでは勝てなかったので、少しの幸運はもたらされたわけです。
というわけで家康は慌てて河内国から離れて、三河兵が眠る岡崎城へと向かうわけですが。
羽柴秀吉はそのころ毛利と交戦中です。
柴田勝家は上杉と交戦中。
滝川一益は上野にて行軍中。
織田信孝と丹羽長秀は四国征伐準備中。
さて、家康の行動なんですが、上京して知恩院に入って自刃しようとしたところを、部下が必至で止めたらしい。色々と問題はあるとはいえ、家康も部下に恵まれている。
そして河内国を脱出して三河の岡崎城へと向かうわけですが。
現れる落ち武者狩りは、ほぼ全員明智の手のモノ。だって家康の首を取って明智光秀に渡したら恩賞をもらえる。皆が必至で家康を探している状況になります。なので、山国の伊賀を超えて海路を通って尾張熱田まで逃げようと画策して上手くいきましたが。
この時同行していた梅雪斎不白は別行動をとって、そのまま殺されたとの事。捨て石にされたのか何なのか・・・
家康グループは雑兵100名くらい討ち取っていたっていうから、このメンバーもそうそうたる強さです。
そして岡崎城で準備して上京を開始。明智光秀を討ち取る為です。
ですが、その途中で羽柴秀吉の使いのモノが来まして、
「わが殿、羽柴秀吉が天王山にて明智光秀を打ち取りました、やりました!!」との報告。
実は、家康はここで秀吉に負けたのです。
家康自体は軍をまとめ上げて行軍する速度は決して遅くはない、むしろ早い方だった。
ですが、毛利をペテンにかけて各家庭に伝令を到達させて道中に握り飯を準備させ、食べさせながら中国大返しを行いきった秀吉のほうが一枚上手だった。
秀吉は、「肝心な時はスピードが大事」を実践してのけたわけです。
秀吉と家康は、この後もライバルとして、一手一手を交差させていきますが、それは後の話。
今日はこれにて終了します。
コーヒータイム、お疲れ様です。
( ^^) _U~~
本日は本能寺の変の時の家康の行動について述べたいと思いますが。
ちょうどその時は信長の勧めで堺見物に行ってたんですよ。で、帰り道の河内国で本能寺の知らせを受けるのですが。
明智光秀は全兵力を信長の本能寺に叩き込みました。13000もいましたが、それを全部本能寺に(^^;;
頭に血がのうえぼってたのか、信長がよほど怖かったのか・・・いや、信長のところ20名くらいしかいないから、6500でも勝てるでしょ?(^^;;
んで、のこりの6500を家康にあてたら、後顧の憂いを絶てたのに・・・
本当に頭のいい光秀らしくない行動なので、陰謀説やらノイローゼ説やらいろいろ取りざたされているわけですが。
まあ、でも、6500で攻め込まれたら家康といえども34くらいでは勝てなかったので、少しの幸運はもたらされたわけです。
というわけで家康は慌てて河内国から離れて、三河兵が眠る岡崎城へと向かうわけですが。
羽柴秀吉はそのころ毛利と交戦中です。
柴田勝家は上杉と交戦中。
滝川一益は上野にて行軍中。
織田信孝と丹羽長秀は四国征伐準備中。
さて、家康の行動なんですが、上京して知恩院に入って自刃しようとしたところを、部下が必至で止めたらしい。色々と問題はあるとはいえ、家康も部下に恵まれている。
そして河内国を脱出して三河の岡崎城へと向かうわけですが。
現れる落ち武者狩りは、ほぼ全員明智の手のモノ。だって家康の首を取って明智光秀に渡したら恩賞をもらえる。皆が必至で家康を探している状況になります。なので、山国の伊賀を超えて海路を通って尾張熱田まで逃げようと画策して上手くいきましたが。
この時同行していた梅雪斎不白は別行動をとって、そのまま殺されたとの事。捨て石にされたのか何なのか・・・
家康グループは雑兵100名くらい討ち取っていたっていうから、このメンバーもそうそうたる強さです。
そして岡崎城で準備して上京を開始。明智光秀を討ち取る為です。
ですが、その途中で羽柴秀吉の使いのモノが来まして、
「わが殿、羽柴秀吉が天王山にて明智光秀を打ち取りました、やりました!!」との報告。
実は、家康はここで秀吉に負けたのです。
家康自体は軍をまとめ上げて行軍する速度は決して遅くはない、むしろ早い方だった。
ですが、毛利をペテンにかけて各家庭に伝令を到達させて道中に握り飯を準備させ、食べさせながら中国大返しを行いきった秀吉のほうが一枚上手だった。
秀吉は、「肝心な時はスピードが大事」を実践してのけたわけです。
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PS:
自分の日本史ブログは井沢元彦氏の「逆説の日本史」シリーズの影響を受けて書いております。
よろしかったら、本元もお読みくださいませ。
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Posted by white_yamada at 05:12│Comments(0)
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