2017年09月24日

首里の金丸/台頭編

さてと解体屋のおじさんです、こんばんは。
今日はですね、先週のドラクエ11から話題は戻りまして、再び金丸の話を書こうと思いまして、現在中山世鑑を開いておりますが。

御物城御鎖側(貿易長官の意味。即位する前の金丸の官職。読み方は「おものぐすくおざすのそば」)を誉めまくってますね、中山世鑑。あと、阿麻和利・護佐丸の乱も中山世鑑には書いてないです。そして、今読んでて気づきましたが三司官(三人で行う宰相の意味。用地方、給地方、所帯方とある)までは金丸も出世してないのですね。伊平屋・伊是名の出身だからかな?

読み進んでいきますと・・・金丸を引き立てた尚泰久王が亡くなって、尚徳王が即位するのですが。
前にも書いたと思いますが、大和の天皇家は「徳という字は不幸にして亡くなった人に贈る尊称」という意味合いがありまして。おそらくは著者の羽地朝秀氏も念頭に置いていたと思われます。

尚徳王は才能と力量に優れるあまり、自分の知力を頼みに人を痛みつける、罪なき者を殺すなど、悲惨な状況になりましたので、金丸は主君の横暴にも勇気をもって諫言します。殺されはしませんでしたが。

金丸はその後も何度も尚徳王に諫言してますね。国王の行幸で久高島に行った帰りに定例なら与那原に泊まるところを、無理やり輿に乗ったまま首里まで向かうぞと言う王を諫めたりとか。

このような感じで何度も諫めましたが、とうとう金丸もあきらめて自分の領地の内間へと隠遁しました。その時の歌です。
「滄浪の水が清めば、吾が纓を濯い、滄浪の水が濁れば、吾が足を濯うべし」

中山世鑑ではここで「張翰」の名前が出てきます。この方は三国志の後の「晋」の時代の方ですね。

自分が日本史と独学とはいえ中国史を勉強していた理由ってのは、中山世鑑ってのは中国と日本の歴史基礎知識がないと、意味不明な単語がたくさん出てくるから、ってわけです。基礎知識無くていきなり琉球王国史を勉強しても、訳がわからん人多いと思う(^^;;
話がそれました。話を元に戻そうかとも思いましたが・・・
あー、次は王国中が大騒ぎというか、一歩間違うと革命なみの騒動なので次回に回します。
本日はこれにて終了、朝のコーヒータイムにします。

皆様方も、お疲れ様です。

( ^^) _U~~


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Posted by white_yamada at 05:59│Comments(0)歴史
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