てぃーだブログ › Ruby勉強会(Ryukyu Ruby's Rookies)と徒然なる歴史評論

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Posted by TI-DA at

2018年07月28日

私事ブログのまとめ

「近況」
自分のブログなのですが、歴史ブログは当ブログことティーダブログさんで書いております。ですが、其の他のブログも書いておりまして。ここ最近の更新しているブログを、まとめて掲載しておきます。

「池間自動車解体所」
https://ikema-automobile.com/

池間解体は、ブログでもあるしwebサイトでもあるしcmsでもあるし。パッと見は普通のテンプレートですが、wordpressを内部に組み込んでおります。wordpressとは、よく見ないと気づかれないほどデザインを揃えきったのが味噌です。

「沖縄県|公園めぐり」
https://moromizato12.net/

沖縄県内各地をめぐって、公園のことを記しております。たまに「おまけ」で別の施設とイベントも書く予定。こちらもwordpress使ってます。

更新してるのは以上になります。

歴史も振り返りたい時は有りますが、とりあえず今は面白そうな題材が無いので、後に何か発見したら書こうかな?とか考えております。
本日はこれにて失礼します。では、またです。  


Posted by white_yamada at 18:19Comments(0)

2018年02月28日

尚寧王ゆかりの地を探索/てだこウォーク

先日の話ですが、てだこウォークに参加してきました。
てだことは「太陽の子」という意味で、沖縄県浦添市の仮称です。英祖王の墓が浦添にあり、英祖王の父は太陽だったからとか。中山世鑑だと英祖王は按司だけど国王の血筋だから、なんですけどね。
本日なんですが、いつも使っているノートPCは開かずにiPadで書きます。不慣れな点は、ご容赦くださいませ。

さて、先日の話ですが、てだこウォークに参加してきました。2018年2月4日にですね。沖縄にしては寒い10度くらいの気温でした。浦添市運動公園からスタート、歩いて安波茶橋にまで向かいました。安波茶橋は尚寧王が作りました。1597年にとのことです。その6年後に家康は幕府を開きます。

そして江戸幕府開設から更に6年後の1609年徳川秀忠の時代、薩摩は琉球王国に侵攻します。琉球侵攻ですね。
その時には安波茶橋でも戦いがあり、血が流れたという伝説があります。橋の下流には国王に水を献上した「赤皿ガー」というのが有りますが、血が流れたから「赤」という伝説もあり。

尚寧王コース1


尚寧王コース2

尚寧王コース3

尚寧王コース4

尚寧王コース5






赤皿ガーは撮影できませんでした。

このようなかんじで安波茶橋をめぐり、今度は「経塚」という地名に向かいます。
その経塚なんですが高野山の日秀というお坊さんが、妖怪がいたところに、ありがたい経を生めた土地なので「経塚」という地名になったとか。ウィキペディアにも有りました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%A7%80_(%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%AE%97)

写真は撮る余裕がありませんでした(汗)

ちょいと補足すると、
高野山の日秀さんに限らずに、古代日本では南のはてに楽園があると信じられており、終身の意味もこめて船出する人は多かったのです。限られた食料でカヌーみたいな船で旅立つわけです。楽園へと向かうために。たまに沖縄にたどり着く人も居るという。

さて、話を戻しますと、このような感じで回っていき、自分の職場の周りも通って、浦添運動公園に戻りました。
本日のブログは以上になります。

何か面白いネタが浮かびそうで浮かばない、もどかしい感じのブログになりました(汗)  


Posted by white_yamada at 17:15Comments(0)歴史

2018年01月13日

日本史(鎌倉末期から江戸時代初期まで)を書き終えて、琉球王国史も神話から尚円王まで書き終えて・・・(雑記)

さてと解体屋のおじさんです。
実はタイトルとおり、自分の好きな歴史のところを全部書き終えて途方にくれてます(汗)
次に書く候補も一応ありまして、日本と沖縄の維新もテーマにしたら面白いとは思われますが、維新は・・・戦国以上の知識要るのですね(汗)近現代史って文献が山ほど有るから、物凄い難しいのですよ。書くにしてもインプットが先なのです。

閑話休題、歴史って日本史だけ勉強すると物語としてしか見れませんが、同時に世界史や中国史、自分が書いたように琉球王国史も比較すると、あれやこれやと面白い発見があります。
阿麻和利と鄭和は出会ってないけど噂には聞いてるだろう、石田三成は薩摩に来ていたから琉球王国の金丸の話も知っていたはずだ、など。比較するだけで新しい発見が次々と出てくるので、自分でも物語ひとつ作れそうな気になるな(笑)そんな楽しみ方をしております。

もともと自分は、歴史が好きなだけの男です。歴史好きなだけの何も無い男が、間違ってトラック解体に入ってしまいまして鍛えられました。なので、現在では鍛えてない男には負けないくらいの腕力や体力はついておりますが、たまに腕力や体力とは関係ないところも挑戦したくなるのですよ。webサイト作成とか、歴史とか。このブログは歴史がテーマになります。webサイトはこちらをご覧ください。https://ikema-automobile.com/

そんなかんじですね。本日のブログは雑談にて終了しました。
また、機会がありましたら何かをテーマに書いていきます。そのときもまた、よろしくお願い申し上げます。

敬具

  


Posted by white_yamada at 09:18Comments(0)歴史

2017年11月19日

内間から首里への金丸「宝位に昇る」編

朝早く目が覚めました。解体屋のおじさんです、こんばんは。
今日はですね、内間に隠遁した金丸のその後を書きたいと思いますが。

と言いますか、尚徳王の悪口ばかり書いてます、中山世鑑(^^;; 
まあ、前の王が悪逆だと宣伝しないと、簒奪の正当化は出来ないですからね(汗)「前の王が悪逆」という設定は、なんと殷周革命の時代からあります。紀元前1046年まで殷は存在しましたから、ざっと3000年前・・・西暦にすら入ってない・・・(^^;;

中山世鑑から記述を少し引用しますと・・・

「鷲鳳は伏しかくれ、鴟鴞がかけめぐる」
「「いやしい愚か者の地位が高くなって世に知られ、へつらうものが志を得た」とは、不正不詳の心卑しき者が世にときめいて、高位高官にのぼるということである」

あー、いいや。全部悪口しか書いてない上に漢字を探しているだけで時間かかるので、このあたりにしときます。常用じゃない漢字ばかりなので、IMEパッドでマウスで書くしかないのね(^^;;

ラストに一つだけ引用。
「「世人は伯夷は貪欲で、盗跖は無欲だという」とは、国を譲った伯夷を汚らわしきものと言い、秦楚時代の大泥棒盗跖や荘蹻を正直者といっているのである」

こんな感じで書きたい放題書いてますね。
ですが、その尚徳王も30を待たずして1469年に亡くなります。29歳でした。(暗殺されたかどうかは不明)

時の三公九郷たちは幼少の世子を即位させようとしますが・・・
・・・金丸のクーデターだろ。タイミングばっちりじゃねーか(--;;;(←注、地の文です(笑))
群臣たちが会議しているところに・・・引用に入ります。

「何処からともなく現れた白髪の老人が進み出て言った。
「先王尚徳は自暴自棄のもので、先祖の労苦をも忘れて、夏の桀王の酒池肉林のように楽しみを極め、民を虐げることは殷の紂王のように人民から多くの租税を取り立てて、宝物を鹿台蓄えたのと変わらない。これによって民は尚徳の治世が終わることを心から願ってた。尚徳は今、自滅したのだ。天道は悪を憎んで善に味方する習わしだから、早く世子を殺して聖徳の御鎖側を国王に推戴し、国家を安寧にしようではないか」」
群臣は一応に応諾(汗)世子が殺されます。第一尚氏は滅亡しました。

後世にはこの言葉が残されております。
「「物呉(ものく)ゆすど我御主(わがうすう)、内間御鎖(うちまうざし)ど我御主」」

少し話がそれますが、第一尚氏の墓は勃興の地の佐敷以外にも、いくつかあるみたいです。いまパラパラと調べたら読谷とか、そのほかいくつか。金丸のクーデター時に、墓が燃やされる可能性があるとのことで移されたとのこと。あとで詳しく調べます。

最初は固辞した金丸も、やがては群臣の説得に応じて許諾。宝位に昇ります。「尚円王」の誕生です。
そして聞得大君から神託を受けました。

「金丸アンジオスエ末続ノ王ニセイ」と授かりました。

さて、このクーデター時は1469年です。応仁の乱は1467年からスタート。
つまり、日本はまだ戦国時代初期でして、信長も秀吉も家康も生まれておりません。

薩摩はもともと米がとれにくい土地です。火山灰が多くて米がとりにくい。なのでサツマイモが入ってくる前はお茶を栽培しておりました。ですがお茶ではお腹は満たないので、交易で何とかしのいでおりました。そこに、豊臣政権の時に一人の官僚が派遣されて財政再建を行うことになりました。

当然、交易の記録や異国の歴史なども少しは触れたのでしょうね。金丸という男が護佐丸を倒し、阿麻和利を倒し、群臣から推戴されて王になったという事も知ることは有ったでしょう。彼は、ひょっとしたらこう思ったかもしれません。

「護佐丸は徳川家康だ、福島正則は阿麻和利だ。金丸にできて私にできないという事があろうか?」

そう、この官僚の男の名前は石田三成。

阿麻和利、護佐丸の乱を全国規模に拡大したら、それは「関ケ原」という戦いの名前にならないか?と、筆者は推測して本日の筆は止めたいと思います。

長々と読んでくださいましてありがとうございました。
朝のコーヒータイムに入ります。

( ^^) _U~~

  


Posted by white_yamada at 06:54Comments(0)歴史

2017年09月24日

首里の金丸/台頭編

さてと解体屋のおじさんです、こんばんは。
今日はですね、先週のドラクエ11から話題は戻りまして、再び金丸の話を書こうと思いまして、現在中山世鑑を開いておりますが。

御物城御鎖側(貿易長官の意味。即位する前の金丸の官職。読み方は「おものぐすくおざすのそば」)を誉めまくってますね、中山世鑑。あと、阿麻和利・護佐丸の乱も中山世鑑には書いてないです。そして、今読んでて気づきましたが三司官(三人で行う宰相の意味。用地方、給地方、所帯方とある)までは金丸も出世してないのですね。伊平屋・伊是名の出身だからかな?

読み進んでいきますと・・・金丸を引き立てた尚泰久王が亡くなって、尚徳王が即位するのですが。
前にも書いたと思いますが、大和の天皇家は「徳という字は不幸にして亡くなった人に贈る尊称」という意味合いがありまして。おそらくは著者の羽地朝秀氏も念頭に置いていたと思われます。

尚徳王は才能と力量に優れるあまり、自分の知力を頼みに人を痛みつける、罪なき者を殺すなど、悲惨な状況になりましたので、金丸は主君の横暴にも勇気をもって諫言します。殺されはしませんでしたが。

金丸はその後も何度も尚徳王に諫言してますね。国王の行幸で久高島に行った帰りに定例なら与那原に泊まるところを、無理やり輿に乗ったまま首里まで向かうぞと言う王を諫めたりとか。

このような感じで何度も諫めましたが、とうとう金丸もあきらめて自分の領地の内間へと隠遁しました。その時の歌です。
「滄浪の水が清めば、吾が纓を濯い、滄浪の水が濁れば、吾が足を濯うべし」

中山世鑑ではここで「張翰」の名前が出てきます。この方は三国志の後の「晋」の時代の方ですね。

自分が日本史と独学とはいえ中国史を勉強していた理由ってのは、中山世鑑ってのは中国と日本の歴史基礎知識がないと、意味不明な単語がたくさん出てくるから、ってわけです。基礎知識無くていきなり琉球王国史を勉強しても、訳がわからん人多いと思う(^^;;
話がそれました。話を元に戻そうかとも思いましたが・・・
あー、次は王国中が大騒ぎというか、一歩間違うと革命なみの騒動なので次回に回します。
本日はこれにて終了、朝のコーヒータイムにします。

皆様方も、お疲れ様です。

( ^^) _U~~  


Posted by white_yamada at 05:59Comments(0)歴史

2017年07月30日

ドラクエ11最速クリアに挑む男達(あのころ僕らは勇者だった・・・そして再び勇者になる!)

さてと解体屋のおじさんです、こんばんは。
本日はいつもの歴史ブログを変更しまして、ドラクエ11をテーマに書きます。

なぜドラクエ11かと申しますと。
もともとインターネットとテレビゲームの親和性は割と高めです。子供のころゲームをやってた、或いはゲームをやりたかった世代が大人になってインターネットの世界へと入ってきたわけですので。

ただゲームをやりたかった方たちでも大人になりましたら、ネットが取り扱う他の大人の項目(仕事ですね。webサイト作成やアプリ作成とか文書作成など)を行っており、べつにゲームは行いましたとしても趣味で・・・という話であったわけです。広告収入とyoutube登場前は。
 
広告収入とyoutube登場は状況がガラッと変わりまして、ゲームを取り扱うことによってのアクセスアップを目指すことが仕事として成立することになり、状況は激変。ビッグタイトルゲームを手掛けるという事は、アクセスアップのための千載一遇の大チャンスという時代が到来しました。

でもね。
大人はアクセスアップを目指せる、広告収入が有る、などの不純な動機でゲームをやると言いましても、ゲームの対象年齢は子供です。なので、もっと子供に戻りまして「子供たちのために夢を届ける」という純粋な動機でゲームやるほうが、かっこいいじゃないですか。
「子供たちに夢を届けるために一生懸命に頑張る大人たち」とかね。うん、かっこいい☆

ただ、ここまで書いておいてなんですが、自分はドラクエ11には手を出しておりません。仕事と家庭が有りますので、ゲームに携わるには時間が足りない。ですが、簡単なサポートはスマホとパソコンでできますので、ドラクエ攻略チームの仲間たちの間ではスマホやパソコンで情報拡散のためのお手伝いをしております。本日は、そのためのブログでもあります。宜しくお願い致します。

さて、今回のドラクエ11なんですが、初期のドラクエを意識しているそうなので「ドラクエ1.2」で登場した「ふっかつの呪文」の再復活などがポイントとして挙げられます。きましたよ、ふっかつの呪文。ドラクエ2では「ゆうていみやおうきむこう・・・」などの、最初からだけど三人チームの一人だけ高レベル呪文とか有りましたね。ああいったものが今回登場するわけです。

ふっかつの呪文を教会(ファミコン版ドラクエ1.2では国王が述べたふっかつの呪文は、ファミコン版3からの教会へと変化は今回も同じです)で書きこみますと、強力な装備などが手に入ったりするわけです。昔ゲームをやってた世代も懐かしいですね。

「他にも詳細は?」という話になりますので、さて、ここからドラクエ攻略の仲間たちのページを紹介していきますよ。アクセスアップを目指しての話ですが、でもさっきも言ったように「動機は不純でも心は純粋」です、はい☆子供たちの夢のために一生懸命に頑張ってる姿は純粋そのものですよ☆というわけでいきます。

「ドラゴンクエスト11攻略wiki」

こちらは鈴木さんのwiki。
http://dq11.dragonquest.in/

こちらは仲間たち全員参加のwikiになります。
http://dq11.playing.wiki/

そして動画撮影組。

鈴木さん
https://www.youtube.com/channel/UCqelxzXGWDQuL4OSC7wIuzA

おーちゃんさん
https://www.youtube.com/channel/UC7DgZq5qXHf0AlRLS8ogEUg


おーちゃんさんのtwitter
https://twitter.com/dqyusya

そして、おーちゃんさんのブログですが。
PC版の「モロミーのトラック人生」これは、俺です(笑)wiki参加組、おそらく全員のチャンネルが登録されております。
http://blog.livedoor.jp/dragonquestwiki/tag/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%8811%E6%94%BB%E7%95%A5.

勇者とは勇気ある人のことです。
勇気ある人は能力も高いことが多いですが、能力とかそんなことは関係なく「皆がほんのひとかけらの勇気を手に入れたら」そしたらきっと・・・ドラクエ11は子供から大人にまで勇気を授けてくれるために、そのために生まれてきたゲームなのではないかと、そう自分は考えながら締めくくりたいと思います。

最後までご覧くださいまして、ありがとうございました。
朝のコーヒータイムに入ります。皆様方もお疲れ様です☆

( ^^) _U~~
  


Posted by white_yamada at 04:19Comments(0)ゲーム

2017年06月04日

伊平屋の金丸/雌伏編

さてと解体屋のおじさんです、こんにちは。
今日からは尚巴志の次の時代の話を書こうと思います。と言いますか、ほぼ金丸の話になります。三国志で言ったら曹操とか、そういう話になります。

というか、金丸は優秀すぎるんですよ。官僚以上に官僚が出来る。
並大抵の男ではないのは確かですが、若い時には伊平屋島の伊是名から追い出されてます。
これはしょっちゅう書いてますが、按司の家系で優秀なら、ふつう追い出されないです。
(^^;;

なので、この方は周囲の嫉妬を買っていて、しかもその嫉妬を和らげようと遜ったり(へりくだったり)はしなかった。
政治家なら遜って仲間を増やそうとします。遜るだけで仲間が増えるなら安い買い物ってのは政治家なら本能的にわかる。実際に後世の話になりますが、大久保利通は島津久光の関心を買うために、自分には興味のない囲碁を練習し始めた。

でも、金丸はこの時は、そんな行動をとらないのですね。島から出るという選択肢を取ります。
といったところで、今日はここまでにしておきますが。

伊是名出身には現代にも政治家がいらっしゃいます。前浦添市長の儀間光男氏ですね。現在参院議員。

弊社社長は「伊是名の出身は頭が良い。政治家が多い」と褒めてます。
自分は「頭が良くて、官僚も政治家もたくさん輩出している」と、見ております。

さて、今日はこれにて終了。
朝のコーヒータイム、ではです。

( ^^) _U~~  


Posted by white_yamada at 05:23Comments(0)

2017年04月23日

尚巴志の軌跡6/後日談

夜中に目が覚めましたのでブログを書き進めたいと思います。
解体屋のおじさんです、こんばんは。

先週以前は勝連城跡のローマ帝国コインにずっと関わっておりましたが、その話は終了。
中山世鑑に戻りまして書き進めていきますが、尚巴志の三山統一以降は第一尚氏の安定期。
尚巴志の崩御後は、護佐丸という「豊臣政権での家康の取り扱い」みたいな大問題はありますが、護佐丸自身が天下を狙ってないので安定期に入っております。

護佐丸問題は金丸が片付けてしまいますが、それは後の話でして、とりあえず第一尚氏の王統の流れが中山世鑑には記されております。
今日はそこを抜粋しながら書いていきます。
よし・・・行きますか。

「尚巴志は在位18年、六十八歳で正統四年(1439年)己羊(つちのとひつじ)に薨ぜられたので、御子今帰仁王子が即位された。これが中山王尚忠である」
「尚忠は第二王子である。洪武24年(1391)辛羊(かのとひつじ)に誕生され、33歳の時に今帰仁王子になられた。50歳で王位を継承された」
「正統八年(1443)癸亥(みずのとい)に明の英宗皇帝は正使の給事中愈忭と副使の行人琉孫を遣わして、琉球国中山王とせしめ、衣冠と綵幣等の物を賜い、併せて妃にも綵幣等の物を賜った」

こんな感じで、琉球国王が即位して冊封された話が、中山世鑑には延々と記されます。
第一尚氏系図の流れとしては・・・
  
尚思紹―尚巴志―尚忠―尚思達―尚金福―尚泰久―尚徳

日本史と琉球王国史、そして独学とはいえ中国史も勉強しますと、見えてくるのが一つ有ります。それは「漢字」です。
内地の天皇家において「徳」という字は「不幸にして亡くなった方に送られる尊称」という意味合いが有ります。

即位されることなく亡くなった聖徳太子、保元の乱で治天の君に刃向かって島流しにされた崇徳天皇、源平合戦の混乱で亡くなられた安徳天皇など。
第一尚氏の最後の王も「尚徳」・・・偶然か?それとも必然か?

次回からそろそろ記すことになります。
尚徳王のときの王取次職、御物城御鎖側官(貿易長官)にして、

尚巴志を除いたら沖縄最大の英雄「金丸」を次回から書いていきます。
本日は以上になります。朝のコーヒータイム、失礼します。

( ^^) _U~~


  


Posted by white_yamada at 03:10Comments(0)歴史

2017年03月26日

麒麟児「阿麻和利」とローマ帝国コインの謎/後編

さてと解体屋のおじさんです、こんにちは。

いきなり話題を変えますが、「尚巴志」ドラマが琉球放送(RBC)で放映中ですね。
その中で最後の山北王に「攀安知」と出てきますが、この名前は実は中山世鑑には掲載されてなくて。
攀安知という名前は、後世に作られた中山世譜(漢文で書かれた中山世鑑)の「蔡鐸本」に出てくる名前なんですよ。

中山世譜の蔡鐸本だと尚巴志の即位の年が20代とか、色々と記述が違うのですが・・・んー・・・蔡鐸本は、なんか違和感ありまして。いつかは紹介するかもですが、今は考慮には入れないことにしてます。というのも、自分でも違和感の説明がまだ出来ないので・・・説明が出来るようになってから、お話しします、ハイ。

さて、本題に戻ると・・・また、この話になるなあ。阿麻和利・護佐丸の乱の話になりますが。
同時代に官僚として金丸もいますので・・・金丸の流言で踊らされたとしか思えない(汗)

以前に書いたのはこちらになります。
http://moromizato12.ti-da.net/e6501177.html

中山世鑑には記述されてない、ってのも以前書きましたね。<阿麻和利・護佐丸の乱
ときの年代は1458年、足利義政の時代になります。

正直に言いますとね。
金丸、護佐丸、阿麻和利の三名は、沖縄の歴史の中では珍しいチート級人物になるんですよ。
(尚巴志は例外です。あの方は事実上の建国王なので)

内地にはチート人物は戦国時代に何名もいますけどね。武田信玄、上杉謙信、信長、秀吉、家康。中国にも多いですね。自分は漢楚争覇時代が好きなので、そこから取り上げると、項羽、劉邦、張良、韓信、蕭何・・・

というか、中国は戦乱ばかりなので、チート人物はウジャウジャいます。史記読むだけで、お腹いっぱいになりますよ(汗)
でも沖縄は、内地よりも小さな離れ小島なので、戦争しても長くは続かないのですね。すぐに終わってしまう。

以前に欧米の基準だと「近世」とはあまり使われなく、日本の江戸時代に当たる歴史区分は諸外国では少ないと書きましたが、沖縄は三山統一した1429年(六代将軍足利義教の時代)以降は、ずっと近世で良いかと。

金丸の即位も戦国時代だったとは言いにくい。民に推されて王位についたというのは、中国の神話「三皇五帝」の禅譲がモデルですからね。悪く言っても「クーデター」くらいでしかないので・・・

話題がそれました。
1458年の阿麻和利・護佐丸の乱に勝連は滅びましたが、最後は何とか沖縄方言で書いて締めくくりたいと思います。変換ソフトを使うので、お恥ずかしい限りですが・・・いきます。

護佐丸
「王府史書んかいよると、阿麻和利んかい対抗するため護佐丸が兵馬を整え、クリを阿麻和利が護佐丸んかい謀反の動きがあんと王府んかい讒言。尚泰久王が阿麻和利を総ウフ将んかい任じ、中ぐしくを包囲しーねー、王府軍と聞いた護佐丸や反撃せず、とぅじ子とともんかい自害しちゃん。」(wikiより参照して変換)

阿麻和利
「史書んかいよれば、悪政を強いるメーぐしく主の茂知附按司を倒して勝連ぐしくの按司となる。東アジアとの貿易を進め、ウフ陸の技術などを積極的んかい取り入れた。勢いを増す阿麻和利んかい第一尚氏王統の第むーち代国王・尚泰久王やイナグであん百度踏揚をとぅじんかい娶らせ懐柔の策を取り、同王のイナグ婿の立場んかいなった。当時琉球でや麒麟児との評判が広まり、首里の尚氏や伯スーであん護佐丸の次んかい滅ぼす計画を練る。史書んかいよればすいぐすく攻略を計画していたとさりゆん中ぐしく主の護佐丸を王の命令で攻め、忠誠のぁかしとして自刃させた。 さらんかいや阿麻和利自身がすいぐすく攻略の野望を抱いたとされ、王府の疑いんかいより差し向けられた鬼ウフぐしく(おんかいうふぐすく)の軍んかい攻め滅ぼされたとされているがぐしく趾んかいやウフきな戦いの痕や見られない。」(wikiより参照して変換)

そして金丸
「1459ねんかいや、御物ぐしく御鎖側官(貿易長官)んかい就任しちゃん。クヌ職や同時んかい王への取次職やてぃんぁり、王へのウイー申や金丸を経由する必要があんくとぅを意味しちゃん。」(wikiより参照して変換)

http://monjiro.net/こちらを参考にしました。

そうして平成の現代に至り、ローマ帝国コインは勝連から発掘されるに至るわけです。
長いお話しに付き合ってくださいまして、ありがとうございました。

しばらくは中山世鑑に触れた後に、えー・・・何がどう考えてもハルサー出身にしか思えない(按司の家系なら、ふつう村から追い出されない(笑))金丸の話にいきたいとおもいます。

また宜しくお願い致します。  


Posted by white_yamada at 04:02Comments(0)

2017年02月19日

麒麟児「阿麻和利」とローマ帝国コインの謎/前編

さてと、解体屋のおじさんです、こんばんは。
今日はですね、先に中国や日本などの東アジアの話を少しだけ。

タイトルにも書いている「麒麟」あるいは「鳳凰」、これらは、中国の言い伝えで「天子(すなわち皇帝)が現れた時に出現する聖獣」のことを言うのでして。
そう、阿麻和利は「天子に次ぐもの」という噂されていたのです。それくらいの名君であったと。
ちなみに内地こと日本も、平等院鳳凰堂や金閣寺などで「鳳凰」を使っています。
麒麟は、現実のキリンが来るのは明の時代の更に後半までいかないと出てこなくて勝連の時代とは重ならないので、伝説上の生き物という認識だったのでしょう。

そして阿麻和利は麒麟児と噂されてたと・・・

・・・後醍醐天皇みたいに、自分で名乗ったのでないことを祈る・・・(待て)

いや、まあ、後醍醐天皇は、天皇というよりは本当にEmperor(皇帝)でして、あまりの行動力に周囲が振り回されっぱなしな感じですが、阿麻和利は、さて、どうでしょうかね?

さてと、マラッカ王国と勝連の話になりますが。
明の鄭和艦隊保護下において成立したマラッカ王国なんですが・・・
って、また鄭和か(汗)この方、この時代だと活躍しまくりだな(汗)

鄭和と阿麻和利が面識が有ったかどうかは不明です。風のうわさには皇帝の命令を受けて艦隊を指揮してしている宦官がいると聞いてはいるでしょうが。

そして、ここがポイントなんですが、阿麻和利は明の皇帝から「汝を封じて山北王と成す」という勅命を受けてない。琉球国王は「中山王」の勅命を受けているのに。そして明は朝貢貿易以外の貿易を禁止した。阿麻和利に関しては、中国と勝連の直接貿易の可能性が、かなり低いのです。

なので、世界中をぐるぐる回って貿易相手国を探していたわけです。マラッカ王国なら朝貢貿易以外は禁じてるとかは無いので、可能性が高い、と。

そして阿麻和利。
えー・・・俺が書くとウチナーヤマト口がかろうじて使えるかな?くらいで、首里言葉とか無理っぽいんだが・・・んー・・・なんかないかな?
あ、いいもの発見。あとでURL書きます。
こんな感じになるかな?

阿麻和利 「なまチチのマラッカ王国との貿易んかいや、ちゃんぐとぅー品が入ってたのかみ?」
臣下   「なまチチや「・・・・・(色々と並べて)鉛の装飾品も有りまして・・・」シチャの通りんかいなります。」

こんなやりとりだったのでしょうが・・・勝連の方言だと微妙に違うか(汗)
こちらを参考にしました。

もんじろう
http://monjiro.net/

さてと、今日はこのあたりで失礼します。
ローマ帝国コインの話は、あと一回書きます。

ラストは阿麻和利、護佐丸の乱。
では、朝のコーヒータイム、お先に失礼します。

( ^^) _U~~  


Posted by white_yamada at 05:05Comments(0)歴史